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東京高等裁判所 平成2年(行ケ)53号 判決

原告

長尾二郎

被告

特許庁長官

主文

特許庁が平成元年補正審判第50058号事件について平成元年12月28日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文同旨の判決

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和55年8月15日名称を「礫岩、砂岩を加工して研掃材として利用する方法」(後に「礫岩、砂岩より研掃材を製造する方法」と訂正)とする発明について特許出願(昭和55年特許願第112443号)をしたが、昭和59年12月13日拒絶理由通知を受けたので、昭和60年3月22日付手続補正書を提出して明細書の全文を補正した結果(以下「本件補正」という。)、昭和61年12月18日出願公告(特公昭61―59874号)された。しかしながら、特許異議の申立てがあり、平成元年3月22日「本件補正は明細書の要旨を変更するものと認められるので、特許法五三条一項の規定により却下すべきものである。」との補正却下決定がなされたので、原告は、平成元年6月23日これを不服として審判の請求をした。特許庁は、右の請求を平成元年補正審判第50058号事件として審理した結果、平成元年12月28日「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をした。

二  本願の特許請求の範囲

1  本件補正前の特許請求の範囲

福島県いわき地方及び双葉南部地区における新第三紀五安層、滝層、古第三紀浅貝層、石城(夾炭)層、白亜紀後期、玉山層、笠松層より礫岩、砂岩を採取し、先づ水洗により精選し次いで自主磨砕と優先粉砕工程を経て、さらに分級(スライムを除去する)工程と脱水乾燥工程と数回の篩分けによるモース法(硬度基準)7以上をもつた8乃至35メツシユの研掃材とすることを特徴とする礫岩、砂岩を加工し研掃材として利用する方法。

2  本件補正後の特許請求の範囲

固結した硅化微粒子を多量に含む礫岩、砂岩を採取し、該礫岩、砂岩を相互の衝突による自主磨砕工程と、鉄棒等へ衝突させ粉砕する優先粉砕工程と、及び水洗篩分け工程とによりモース法(硬度基準)7以上を有すサンド状の研掃材を製造することを特徴とする礫岩、砂岩より研掃材を製造する方法。

三  審決の理由の要点

1  本願は、昭和55年8月15日に出願され、その後昭和60年3月22日付の手続補正書により本件補正がなされた。

2  これに対して、原審は「本件補正後の特許請求の範囲に記載された『該礫岩、砂岩を相互の衝突による自主磨砕工程と、鉄棒等へ衝突させ粉砕する優先粉砕工程』及び発明の詳細な説明に記載された『発明の構成』の項分け記載部分は、願書に最初に添付された明細書に記載されておらず、かつ同明細書の記載からみて自明のこととも認められないので、この補正は明細書の要旨を変更するものと認められるので、特許法五三条一項の規定により却下すべきものと認められる。」と決定した。

3  この決定に対して請求人(原告)は、「自主磨砕」は「自生磨砕」の明白な誤記であると主張するとともに、次の文献を提出して、自生磨砕と優先粉砕の両用語の技術的内容はともに当業者にとつて周知又は自明の事項であるので、該両用語の詳細を説明するものである本件補正は当初明細書の要旨を変更するものではない旨主張している。

①昭和40年2月25日浮選研究会発行「浮選」二七頁ないし三九頁

②日本鉱業会誌(昭和36年9月号)三頁ないし八頁

③昭和42年4月15日株式会社技報堂発行「非金属鉱物の選鉱法」六頁ないし七頁

④日本鉱業会誌(昭和33年5月号)二五頁ないし二八頁

⑤大塚鉄工株式会社1976年9月発行のカタログ

⑥石炭綜合研究所発行「炭研」(1952年12月号)二五頁ないし三二頁

⑦昭和54年10月1日発行の近畿粉体工学研究所編集「ふるい分け・分級・破砕」八六頁ないし八九頁

⑧昭和30年3月10日白亞書房発行「選炭実技」六六頁ないし六七頁

⑨特許公報(昭54―21581号)

⑩大塚鉄工株式会社1971年1月発行のカタログ

⑪昭和16年6月10日共立出版株式会社発行「選鑛工學」一九七頁ないし一九九頁

⑫昭和15年12月5日合資会社共立社発行「選鑛法」(改訂版)二〇頁ないし二三頁

⑬昭和18年8月15日鉱業圖書株式会社発行「粉砕」三一八頁ないし三一九頁

4  そこで、本出願当初の明細書(以下「当初明細書」という。)をみると、「自主磨砕」は礫岩、砂岩の品質(硬度)を強化するものである旨の記載(当初明細書四頁)はあるが、磨砕のための具体的な手段についての記載はなく、その手段が不明なものである。一方、請求人(原告)が提出した前掲文献によれば、「自生磨砕」は、昭和40年2月25日浮選研究会発行「浮選」(本訴甲第六号証)中の「粉砕媒体が粉砕されるべき物質と同じものを使用する点に特徴がある。すなわち、ボールやロツドを使わずに鉱石で鉱石自体を粉砕しようとする粉砕法である。」(二七頁)という記載に代表されるように、鉱石で鉱石自体を粉砕する粉砕手法を意味するものであることは理解できるが、専ら鉱石の品質(硬度)強化を目的として行われるものであるとは記載されていないし、また、そのような目的のために該粉砕手法が適用されることが当業者にとつて周知または自明の事柄であると解すべき根拠もない。してみると、「自主磨砕」についての当初明細書における前記記載のみでは、「自主磨砕」が前掲甲第六号証に記載されている内容を有する「自生磨砕」と同義の技術用語として当初明細書中で使用されていたものと解することはできない故、「自主磨砕」と「自生磨砕」が同義の技術用語であることを前提とした請求人(原告)の主張は採用できない。

5  次に「優先粉砕」については、当初明細書には優先粉砕のための手段が本件補正によつて追記された「鉄棒等へ衝突させ粉砕する」という特定の粉砕手段であるとは説明されていないし、請求人(原告)の提出した前3①ないし⑬の各記載を併せ参酌しても「優先粉砕」が専ら「鉄棒等へ衝突させる」という粉砕手段によつて行われるものであると解すべき根拠もない以上、「優先粉砕」という語が、本件補正によつて特許請求の範囲に記載された「鉄棒等へ衝突させる」という粉砕手段を意味することが当業者にとつて周知または自明の事項であつたものとはいえない。

6  加えて、当初明細書には、本願発明が自主磨砕と優先粉砕の両工程を組み合わせることによつて特定の礫岩、砂岩を粉砕するという構成を採用している点には、「モース法(硬度基準)7以上をもつた8~35メツシユの研掃材とする」(特許請求の範囲等)という技術的意義が存するものと解される記載は認められるが、本件補正によつて「発明の構成」として項分け記載された箇所に追記された研掃材粒子の形状、すなわち「鋭い角を持つた」という形状の研掃材粒子を形成せしめるという目的、作用効果を達成できるという技術的な意義があることは記載されていないし、また、「鋭い角を持つた」という形状の粒子を形成せしめるための手段として本件補正によつて特許請求の範囲に追記された「礫岩、砂岩の相互衝突による自主磨砕工程と、鉄棒等へ衝突させる優先粉砕工程」の組み合わせが有効なことが当業者によつて周知または自明の事項であつたとする根拠もない。

7  以上のとおり、本件補正によつて当初明細書に追記された、本願発明の方法における自主磨砕工程と優先粉砕工程の両工程における具体的な粉砕手段と、両粉砕手段の組み合わせによつて奏される作用効果は、いずれも本出願の当初明細書には記載されておらず、また、当業者にとつて周知または自明な事項であつたものともいえないものである。してみると、これらの各技術事項を当初明細書に追記するものである本件補正は当初明細書の要旨を変更するものというべきであり、特許法五三条一項の規定により、却下すべきものと認められるから、原決定は妥当である。

四  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点1ないし3は認める。同4ないし7のうち、原告が審決指摘のような主張をしたことは認めるが、それらについての認定判断は争う。本件補正によつて、特許請求の範囲における「自主磨砕工程」の前に「該礫岩、砂岩を相互の衝突による」の字句を、「優先粉砕工程」の前に「鉄棒等へ衝突させ粉砕する」の字句を追記した点は、いずれも当初明細書に記載されていた「自主磨砕工程と優先粉砕工程」が内包していた具体的な手段を明らかにしたにすぎないから、本件補正をもつて当初明細書の要旨を変更するものとした審決の判断は誤りであるので、違法として取り消されるべきものである。

1  特許請求の範囲における「自主磨砕」について

特許請求の範囲の「自主磨砕」の語が、「ボールやロツドを使わず礫岩や砂岩などそれ自体を相互に衝突させることによつて磨砕する技術」を意味するところの「自生磨砕」の誤記であることは当業者に明らかである。

当初明細書に「自主磨砕」なる技術が「礫岩、砂岩の品質(硬度)を強化するものである」旨の記載のあることは審決も認めるところであり、「鉱石で鉱石自体を粉砕する技術、つまり礫岩や砂岩の相互の衝突による粉砕手段」が「自生磨砕」と呼ばれていたことは、本出願当時の当業者が常識として知つていたことであり(「自主磨砕」なる語が用いられていたことはない。)、かつ、礫岩、砂岩の品質(硬度)を強化する目的のために、この自生磨砕の粉砕手法が適用されることも当業者にとつて周知または自明の事柄であつた。したがつて、特許請求の範囲にいう「自主磨砕」が、自生磨砕、つまり、礫岩や砂岩など鉱石それ自体の相互の衝突による粉砕手段を指すことは当業者にとつて自明なことであつた。

すなわち、前掲①昭和40年2月25日浮選研究会発行「浮選」二七頁ないし三九頁には、自生磨砕の技術が「ボールやロツドを使わずに鉱石で鉱石自体を粉砕する粉砕法」として一般的に説明されており、かつ、このような、自生磨砕によつて鉱石を相互に衝突させて粉砕すれば、鉱石を組成していた強弱さまざまな分子が各別に分けられるから、目的によつては粉砕物質中から品質(硬度)向上のために硬度のある物質のみを取り出すこともできることは当業者にとつて容易に理解できることである。当初明細書に、特許請求の範囲にある「自主磨砕」の技術が「礫岩、砂岩の品質(硬度)を強化するものである」旨の記載のあることは前述したとおりであるから、当業者においては、右の「自主磨砕」が礫岩、砂岩の品質(硬度)を強化するという目的のために礫岩、砂岩の相互の衝突により磨砕した磨砕物中から硬度のある粒子のみを取り出すという技術を理解できることは明らかである。したがつて、当業者としては、本願発明の特許請求の範囲における「自主磨砕」の語は、「自生磨砕」の技術をいうもの(自生磨砕の誤記)と理解するであろうし、かつこの「自主磨砕工程」の語の前に「該礫岩、砂岩を相互の衝突による」の字句を付加したことは「自生磨砕」に内包された具体的手段を記載したにとどまるから、この点の追記は当初明細書の要旨を変更するものではない。

2  特許請求の範囲における「優先粉砕」について

「優先粉砕」が鉄棒等へ鉱石を衝突させて粉砕する技術用語であることは本出願前より当業者において周知のことである。このことは、前掲⑨ないし⑬の各文献に記載されていることに照らしても明らかである。したがつて、原告の提出に係る各文献の記載を併せ参酌しても「優先粉砕」が専ら「鉄棒等へ衝突させる」という粉砕手段によつて行われるものであると解すべき根拠はないとした審決の認定は明らかに誤りであるというべきであり、特許請求の範囲における「優先粉砕工程」の語の前に「鉄棒等へ衝突させ粉砕する」の字句を追記した点も、「優先粉砕」の技術が内包した周知な具体的手段を記載したにとどまるから、当初明細書の要旨を変更するものではない。

3  本件補正により発明の詳細な説明の「発明の構成」の項に追記された研掃材粒子の形状について

審決は、当初明細書には「自主磨砕」と「優先粉砕」の両工程を組み合わせることによつて研掃材粒子を「鋭い角をもつた」形状に形成せしめるという目的、作用効果を達成できるという技術的な意義があることは記載されていない旨認定判断しているが、研掃材の性質上「鋭い角をもつた」形状であるべきことは当然であり、「自生磨砕」及び「優先粉砕」の技術が前記のとおりの粉砕手段であることからして、これら両粉砕工程を組み合わせることによつて「鋭い角をもつた」研掃材粒子が形成できることは当業者にとつて自明なことである。したがつて、「鋭い角をもつた」研掃材粒子を形成せしめるために、本件補正によつて特許請求の範囲に追記された「礫岩、砂岩を相互衝突による自主磨砕工程と、鉄棒等へ衝突させる優先粉砕工程」の組み合わせが有効なことが当業者によつて周知または自明の事項であつたとする根拠もない。」とした審決の判断は明らかに誤りである。

第三請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし三の事実は認める。同四の主張は争う。審決の認定判断は正当であり、審決には原告主張のような違法の点はない。

二  被告の主張

1  特許請求の範囲における「自主磨砕」について

当初明細書には、「自主磨砕」が「礫岩、砂岩の品質(硬度)を強化する」ものである旨の記載があるから、「自主磨砕」とは硬度を強化する目的を達成することができる粉砕手段を指すものと理解できる。しかしながら、「自主磨砕」の語が「礫岩、砂岩の相互の衝突により磨砕して磨砕物中より硬度のある粒子のみを取り出す」という内容の操作であること(「自生磨砕」が鉱石の相互の衝突による粉砕手段であることが当業者間に周知ないし自明の事項であつたことは認める。)までは当初明細書の記載からは読み取れない。特許請求の範囲における「自主磨砕」が「自生磨砕」の誤記であるとはいえないから、これを前提とする原告の主張は根拠がない。

2  特許請求の範囲における「優先粉砕」について

「優先粉砕」の語は、粉砕物中のある特定の成分を優先的に粉砕し、他の成分はできるだけ粉砕しないような粉砕機能ないし目的を指す用語と理解すべきものである。このことは前掲⑨特許公報(昭54―21581号)における「処理すべき粗粒鉱物中の優先粉砕すべき目的鉱物は粉砕するが、目的鉱物以外はできるだけ粉砕せしめないものと選定する。」(三欄四二行ないし四欄一行)との記載からも明らかである。「優先粉砕」が鉄棒等の粉砕媒体を用いる粉砕と同義であると断定することはできない。したがつて、「鉄棒等へ衝突させ粉砕する」という字句を特許請求の範囲における「優先粉砕工程」の前に追記した本件補正が当初明細書の要旨の変更に当たるとした審決の判断には誤りはない。

3  本件補正により発明の詳細な説明の「発明の構成」の項に追記された研掃材粒子の形状について

右のとおり当初明細書における「自主磨砕」及び「優先粉砕」の語を原告主張のような粉砕手段として理解することができないから、当業者にとつて、これらの粉砕手段を組み合わせた工程を経ることによつて「鋭い角をもつた」研掃材が形成されるということは予測し得ることではない。原告のこの点の主張は根拠を欠くものである。

第四証拠関係

本件記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

一  請求の原因一ないし三の事実(特許庁における手続の経緯、本件補正前及び補正後の特許請求の範囲の記載並びに審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

二  取消事由に対する判断

1  当初明細書における「自主磨砕」の用語について

成立に争いのない甲第二号証(昭和55年8月15日付願書添付の明細書)によれば、当初明細書の発明の詳細な説明には、「自主磨砕」の語に関しては「水洗による精選と自主磨砕で品質(硬度)強化し」(四頁二行ないし三行)と記載されていることが認められるものの、他に「自主磨砕」の語に関する直接の記載はないことが認められる。しかしながら、前掲甲第二号証によれば、当初明細書の発明の詳細な説明には、「この発明は金属及び石材の表面研掃用の研掃材についてのもので、硬度が高く、粉塵の飛散の少ない、また繰返し使用のできる安価な研掃材を得て、提供しようとする」(二頁二行ないし五行)ことを目的とし、本件補正前の特許請求の範囲に記載されたとおりの構成からなる発明による効果として、「モース法による硬度基準7以上をもつて繰返し使用ができる優秀で粉塵の飛散の生じない研掃材を福島県いわき地方及び双葉南部地区に無尽蔵に産する礫岩、砂岩より安く安定して供給できる効果がある。」(五頁二行ないし七行)と記載されていることが認められる。

このような当初明細書における本願発明の目的、効果に関する記載を中心として当初明細書の全記載を読めば、「自主磨砕」の語が、研掃材用の鉱石(礫岩、砂岩)の硬度強化に関する鉱石粉砕手段を意味するものとして用いられていることは明白に看取されるところである。

ところで、「自生磨砕」の用語が鉱石自体の相互の衝突による粉砕手段を意味するものとして当業者間に周知ないし自明の事項であつたことは被告も認めるところであり、成立に争いのない甲第六号証(前掲①昭和40年2月25日浮選研究会発行「浮選」二七頁ないし三九頁)、甲第七号証(前掲②日本鉱業会誌・昭和36年9月号・三頁ないし八頁)及び甲第八号証(前掲③昭和42年4月15日株式会社技報堂発行・非金属鉱物の選鉱法・六頁ないし七頁))を総合すると、「自生磨砕」の語は「ボールやロツドなどを使わずに鉱石で鉱石自体を粉砕しようとする」かなりの歴史的背景のある粉砕法を指す用語であつて、すでに昭和30年代には鉱物の粉砕法として当業者から注目されていた技術事項であり、この「自生磨砕」の用語も極めて広く知られた一般的な技術用語となつていたことが認められる。そして、このような鉱石で鉱石自体を粉砕する粉砕法である「自生磨砕」によれば、鉱物を組成している強弱さまざまな成分が各別に分けられることになるから、粉砕物中から品質(硬度)向上のために硬度のあるもののみを取り出すこともできることになることは当業者が容易に認識し得ることというべきである。

翻つて、当初明細書に記載された「自主磨砕」と鉱石自体の相互の衝突による粉砕手段を意味する「自生磨砕」の用語を対比してみると、両者の違いは、「主」と「生」のみであるうえ、「自主」といい、「自生」といい、ともにそのもの自体によつて生成することをいう点で共通性のある語であり、また、前記認定のように、当初明細書から「自主磨砕」が鉱石の硬度強化に関する粉砕手段であることが看取され、かつ鉱石の粉砕技術の分野においては極めて類似した用語である「自生磨砕」の用語が一般的な技術用語となつていたことからして、「自主磨砕」の語に接する当業者としては、鉱石で鉱石自体を粉砕する手法を「自主磨砕」と不適切に表現したものか、あるいは「自生磨砕」と表記すべきを「自主磨砕」と誤記したものと理解するであろうと推認するのが相当である。

右のとおり当初明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明における「自主磨砕」の語が、鉱石で鉱石自体を粉砕する粉砕法を指すものと理解できるとすると、本件補正によつて特許請求の範囲における「自主磨砕工程」の前に「該礫岩、砂岩を相互の衝突による」の字句を追記した点は、当初明細書に記載された「自主磨砕」の粉砕法について一般的な技術的説明を加えたものというべきであるから、この点の追記は当初明細書の要旨を変更するものとはいえない。

2  当初明細書における「優先粉砕」の用語について

当初明細書(前掲甲第二号証)をみても、当初明細書の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明には、「優先粉砕工程」の語が用いられているものの、「優先粉砕」の意義及びこれを行うための具体的な手段については何らの説明ないし記載のないことが認められる。被告は、右の「優先粉砕」の語が被砕物中のある特定の成分を優先的に粉砕し、他の成分はできるだけ粉砕しないような」粉砕機能ないし目的を指す用語であることは理解できるとしながら、当初明細書における「優先粉砕」について、この粉砕が本件補正によつて特定された「鉄棒等へ衝突させ粉砕する」という特定の粉砕手段によつてなされるものであることは当初明細書に記載されていないのであるから、本件補正によつて特許請求の範囲の「優先粉砕工程」の前に「鉄棒等へ衝突させ粉砕する」の字句を追記して具体的な粉砕手段を特定することは当初明細書の要旨を変更することになる、と主張する。

成立に争いのない甲第一二号証(前掲⑩大塚鉄工株式会社1971年1月発行のカタログ)、甲第一三号証(前掲⑪昭和16年6月10日共立出版株式会社発行「選鑛工學」一九七頁ないし一九九頁)及び甲第一五号証(前掲⑬昭和18年8月15日工業圖書株式会社発行「粉砕」三一八頁ないし三一九頁)によれば、粉砕媒体として鋼鉄棒を用いる構成の粉砕機であるロツドミルに関して、次のような記載のあることが認められる。すなわち、前掲甲一二号証には「ロツドミルによる粉砕はどんな形式のものでも、又乾式であろうと湿式であろうと、ロツド間の線接触により行ないますので、ロツドの間隙にある原料の中で粗粒のみが優先的に砕かれます。」(二頁左欄二行ないし五行)との記載があり、また前掲甲第一三号証には「ボール・ミルに於けるボールの代りに、機體内面の長さに略々等しい長さの太い鐡棒を使用するのがロツド・ミルと云はれるものである。ボールの場合には、粉碎の行はれる場所は、主として球が相接する點で、その點にある鑛粒は、粒の大小に關せず粉碎作用を受け、そこに選択性が全くない。これを棒に代へれば、その棒は、大體、平行に接觸してゐるために、粉砕はその線の上に於いて行はれ、その線上に大小の粒が同時にあれば、先づ大粒から砕かれて行き、そこに選択性がある。」(一九七頁二行ないし一三行)との記載が、更に前掲甲第一五号証には「回摶圓筒粉砕機の一種類であつて粉碎軆としてボールの代りに鋼鐡棒を使用する。・・粉砕軆と粉砕原料との接觸は球の場合は一點であるが棒の場合は多くの點を結んだ」の線である。ミル内で描く棒の飛動路は球の場合と類似してゐるが落下した棒は粗粒に對して衝撃を加へるが、其の間にある微粒は之を免れる。従つてロツドミルでは過度の微粉砕物を混じない均一な細さの粒子が得られるので主として鑛石の粉砕に使用される。」(三一八頁三行ないし一九行)との記載がある。

右の記載を総合してみると、鋼鉄棒に粉砕処理すべき鉱石を衝突させて粉砕する粉砕手段は、優先粉砕の手段として極めて普通に行われている技術であつて、当業者においても「優先粉砕」の手段として通常普通に想起するであろうと推認されるような手段であることが窺われる。しかして、本件補正によつて追記された「鉄棒等へ衝突させ粉砕する」との優先粉砕の粉砕手段は、まさに右にみたロツドミルの構成を指すことは明らかである。

当初明細書において優先粉砕のための具体的な粉砕手段が特定されていなかつたことはさきに認定したとおりであるが、右にみたとおり鋼鉄棒に粉砕処理すべき鉱石を衝突させて粉砕する粉砕手段はロツドミルとして当業者が優先粉砕のための粉砕手段として通常普通に想起するような事項であるから、本件補正によつて特許請求の範囲における「優先粉砕工程」の前に「鉄棒等へ衝突させ粉砕する」の字句を追記した点は、優先粉砕について、そのための普通の粉砕手段として当初明細書において当然に予定されていた具体的な粉砕手段を明らかにしたものにすぎないものと認めるのが相当である。したがつて、本件補正によるこの点の追記を当初明細書の要旨を変更するものとした審決の判断は誤りというべきである。

3  本件補正による発明の詳細な説明の「発明の構成」の項に追記された研掃材粒子の形状について

成立に争いのない甲第三号証(昭和60年3月22日付手続補正書)によれば、本件補正に係る明細書の「発明の構成」の項には、自主磨砕(自生磨砕)及び優先粉砕工程の目的ないしそれらの処理工程を経ることの効果に関して、「礫岩、砂岩が含有する硅化微粒子は著しく高い硬度を持ち従つて衝撃に対して鋭角部の摩耗が少なく、破砕しても更に新しい鋭稜角部を生ずるため、研掃材として優れた適合性がある。これらの礫岩、砂岩を採取して、例えば回転槽内に大小とりまぜて投入し、相互衝突による磨砕(自主磨砕)を行して固結した硅化微粒子類を取出し、次いでこれらを鉄棒などを装備した回転槽内に投入して鉄棒等に衝突を反復させる優先粉砕工程を行つて、固結した硅化微粒子を粉砕して外面に鋭角や鋭稜角を付し、泥分など弱い粒子を除去するのである。」(四頁四行ないし五頁二行)と記載されていることが認められるところ、当初明細書(前掲甲第二号証)にも、比較的高い硬度をもつ特定地区における礫岩や砂岩を素材とし、これに自主磨砕(自生磨砕)や優先粉砕の処理を施して硬度の強化された研掃材を得ることが記載されているのであるから、当業者においても、硬度の高い鉱石に対して前記のような粉砕手段(前記認定説示したとおり本件補正によつて特許請求の範囲に追記された「礫岩、砂岩を相互衝突による」自主磨砕工程と「鉄棒等へ衝突させる」優先粉砕工程とを経ることは当初明細書において予定されていたことである。)を施せば、粉砕されて更に鋭い角をもつたものが生成されること(硬度の高い鋭い角をもつた形質のものが研掃材として適することは自明なことである。)は容易に理解できることというべきである。したがつて、本件補正による「発明の構成」の項における審決指摘の記載が当初明細書の要旨を変更したものとはいえない。

4  右のとおりであるから、本件補正によつて追記された審決指摘の記載はいずれも当初明細書の要旨を変更するものとは認められないので、本件補正を特許法五三条一項により却下した原決定を是認した審決の判断は誤りであり、審決は違法として取消しを免れない。

三  以上のとおりであるから、その主張の点に認定判断を誤つた違法があることを理由に審決の取消しを求める原告の本訴請求は、理由があるものとして、これを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条及び民事訴訟法八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松野嘉貞 裁判官 舟橋定之 裁判官 杉本正樹)

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